梟 |
屋根があることが珍しいなら、その中に照明がついていることは奇跡的とも言えた。かつては数万人が熱狂したアリーナ。 この広大さを考えれば、一部とは言え明かりを灯すことが容易であるとは思えない。それでもなお、この深夜の闇の中、白いマットを浮かび上がらせるだけの光が天井から注いでいる。 恐らくは、あらゆる相手を呼び込み、ここで打ち負かすことを、自分たちへの興行としているのだろう。 升野英知は全て承知の上で此処へやって来た。戦うために。そして、勝つために。 確かなのは、二人の内一方の異能が脅威であると言う事だけだ。相手の戦闘能力を強力に抑制する。正常な人間ならば望んで戦いたいとは思わない。 しかし今の自分は正常ではない。この世界そのものが正常ではないのだ。何ら臆するところはなかった。 「おう、いらっしゃい」 「聞いてるよ、何だか知んねえけど、えらく跳べるんだってねえ」 升野は声ではなく動きで応じた。観客席を駆け下りる。リングの中央に向かって突進した。 「跳べるもんなら、跳んで見せろよ、ガキ」 升野の目は、確かに二つの嘲笑を捉えた。しかし助走の勢いは殺さなかった。 確かに呪縛は強力だった。噂に聞いた通り、半分も力が出せない。跳躍を封じられていると言うより、運動機能そのものを相手に掴まれ、引っ張られているように感じる。腹の肉の上から内臓を鷲掴みにされたようなおぞましさを感じた。 振り切って、跳んだ。高さは出ない。それでも、普通の人間相手なら充分な筈だった。 升野は二人の本名を知っていた。元来さほど知られてはいないだろう。この世界の生き残りの中でも、正確に把握している者は少ないだろう。 小野正芳の頭上から、垂直に拳を突き立てた。 インパクトの直前に真横から突き飛ばされた。赤江祐一の肉体は動いていない。その異能のみを以て軌道を変えられていた。 升野は動じなかった。着地し転がった体勢のまま真横に裏拳を放つ。小野の膝裏を捉えた。異能の干渉は続いている。それでも升野は動きを止めることがなかった。例え半分に抑えられてもこれだけ戦える。見せつけるように床を蹴った。 斜めに跳び上がる軌道上に小野の肩がある。弾き飛ばしながらそのまま体を伸ばす。力に引かれ推進力を失うが、それも計算に入っていた。空中で反転し、垂直降下する。足下には小野が倒れている。 赤江が吠えた。踏みつける寸前で小野の体が脇へ転がされた。構うことなくそのまま着地し、今度は一切力の干渉を受けずに赤江の懐へ飛び込み、鳩尾に拳を叩きつける。反作用で後方へ跳んでさらに加速し、小野に地を這うような蹴りを放つ。 小野はその筋肉質な体格と裏腹に、人並み以下の体力しかない。食料の乏しいこの世界に於いて、あの躰はむしろ荷物になっているのだ。 赤江の異能も強力ではあったが、細かく制御することには慣れていない。升野は最初の一撃でそれを見抜いていた。 勝てる、と升野は確信した。二人に回復の手段はない。この戦いを続ければ、摩耗して擦り切れるのは相手の方だ。それに、何よりもの狙いがあった。 ロープの力を借りて、天井を目指した。劣化していたロープはその勢いで千切れたようだったが、升野は思い描いた通りの動きを達成していた。 籠もった爆発音と共に、照明が落ちる。予め仕掛けて置いたものだ。二人が息を呑むのを升野の聴覚は詳細に捉えていた。 全て事前に仕組んでいた。戦うことを決めた時、勝つことも決めたのだ。卑怯とは言わせない。土台、2対1の戦いだ。そして懸かっているものは賞金ではなく命だ。 升野は照明を吊すワイヤーに手をかけ、二人を見下ろした。 「俺には天も地もない。光も闇もない。あんた達にどんな力があろうと、使いこなせないようなら俺の相手にはならない」 秒よりも短い時間で升野は上空から戻った。狙いは赤江だ。場所はどこでもいい。的の大きさからも、外す筈もなかった。 折れた骨が脛を突き破っているのが見える。小野の呼びかける声は赤江の絶叫にかき消されている。 升野が目の前に立っているのが二人には見えない。それどころか、互いの位置も、傷の在処さえも手探りしなければわからない。完全な恐慌状態に陥っていた。 灯りを失っただけで、増長をへし折られただけで、人は此処まで容易く我を失うものか。升野は笑った。その笑みも二人には見えない。 「跳んで見せようか」 升野は二人を見下ろした。かつて浅草キッドと呼ばれた二人を、遥か高みから見下ろしていた。 |