インターチェンジ

 児嶋はアスファルトを拳で何度も殴りつけながら、同じ言葉を喚き散らしていた。
 「手加減しやがった!あの野郎、手加減しやがった!!」
 渡部は無言でそれを見つめている。始まる前から全て判っていたとでも言うように。
 フードの男は、その光景を見ただけで大凡のことは把握できていた。それでも、児嶋の声を少しでも遮ろうと、自ら声を発した。
 「その足は」
 「龍です」沈んだ声ではあったが、その口調は児嶋とは対照的に、立場を意識したものだった「『赤い龍』です。何もできませんでした。その時、こいつは居なかったし」児嶋の背に視線を落とした。憐憫も蔑みも、何の感情もない視線だった「もし居たとしても、敵わなかったと思います。あれは魔法です」

 異変の前の世界では、常に輝いた目をした男だった。やる気の無さや退屈や小意地の悪さも目に出る男だった。それだけ感情に富んでいた。笑いを何よりの楽しみとし、そして生業とすることに誇りを持っていた。だからこそ渡部建は輝いていた。
 今此処に居る、片足を失った男には、その光の欠片も残っていない。
 一度の敗北が人をここまで変えるとすれば、負けることすらできなかった場合はどうだろうか。児嶋は拳を振るい続けている。
 
 「『死神』、帰ろうとしてました。居ないんならお前らには用はないって、はっきり言ってました。でも」渡部の足下にまでアスファルトの小さな破片が飛んできていた。児嶋の拳には傷一つない「こいつが向かって行ったんで、仕方なく受けたんだと思います」
 「全部見えてやがったんだ、俺の頭も首も!殺せた筈だ!それなのに手加減しやがった!」
 死神の鎌は一撃必殺だ。命中して生き残った者は居ない。しかし児嶋はこうして生きている。左の肩を砕かれ、腕をぶら下げ、プライドを根こそぎ失って、生き長らえている。
 「もう俺たちには何もできません」渡部は杖を使って立ち上がり、フードの男に向き直った。そして、静かに頭を下げた「馬鹿な後輩で、すいませんでした」
 
 フードの男は何も応えないまま背を向けて歩き出した。
 後輩であるアンジャッシュが今後どう生きていくか、或いはどう死んでいくかは判らない。そして、それには関与できない。
 ただ成すべき事は、そして一心に願うのは、『死神』を追うこと、再会することだけだった。
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 「『赤い龍』?何すか、その田舎の族みたいな」
 堤下は思わず失笑しながら問いかけた。しかし、塚地の口調は真剣そのものだった。 
 「竜巻を起こすんやて。何人かの真ん中で竜巻を起こす、血ぃが巻き上がって、赤い竜巻になる、それが赤い龍に見えんねんて」
 「そんな。魔法じゃないんですから」
 「ホンマや。実際俺も見た、死体」思い出したものを振り払うように数回瞬きをした「血ぃが全部吸い上げられて、真っ白やった」
 
 「けど勝てないじゃないすか、そんなの。俺にどうしろって」
 「自分しか止められへん言うてんねん」塚地は語気を強めた。
 「そんな事言われても」軽口を叩きながら、堤下は自分の視線が泳ぎ始めているのを認識していた。冗談で済ませたい。信じたくない、認めたくないのだ。
 「相方やないか!」
 
 相方である板倉俊之が、風を操りそれを刃と化して人を切り裂き、『赤い龍』の異名で恐れられていて、その対処は自分にしかできないであろうという事実を、認めたくなかったのだ。
 堤下は塚地から目を逸らした。現実から目を逸らした。そして、他にどうすることも出来なかった。
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 「あぁ痛かっ、た」
 「痛かったで済んで良かったですよオザーサン心配したんですから」
 大型二輪の後部座席で小沢は鼻歌を歌いながら手当を受けていた。
 「あの場合、じっとしてた方がいいと思ってサ…どうせ潤がどうにかしてくれるだろうし、実際どうにかしてくれたし」
 「冗談じゃありませんよ協力していきましょうよ協力オザーサン!」
 「面倒くさいんだもの」
 
 軽妙洒脱さは失っていない。しかし、傷は決して軽くはなかった。小沢の顔色から見てもそれは明らかだ。
 それでも、二人はスピードワゴンで在り続けていた。鮮血にまみれ、失血寸前でありながらも、コンビとしてのスピードワゴンで在り続けていた。

 堤下は結局二人を引き留められなかった。
 「仔猫ちゃんがまだ大勢待ってる筈だから」
 「まあ生きてりゃいつでも会えますって、東京なんて狭いモンだし」
 「そもそも、甘くもない男と連んでるのは性に合わないんでね」
 「甘ーい!オザーサン甘い!顔面蒼白だけど甘いよオザーサン!」
 あくまでも自分たちの価値観で動き回り、一人でも多くの仲間と見える。それが井戸田と小沢の行動理念だった。
 「スピードワゴンはクールに去りますよ」
 「アリーヴェデルチ」

 堤下は爆音を轟かせるバイクを一人丘の上で見送った。
 ようやく見つけた筈の相方は、まさしく『赤い龍』そのものであったし、そして一つも言葉を交わせずに逃げられた。
 例えようもない孤独感と無力感に押し潰されそうになった。
 せめて自分にもバイクが在れば、疾走することで物思いから逃れられるかも知れないと思った。
 バイクが見つかりそうな街まで歩いて戻ることを考え、堤下はさらに絶望的な気持ちになった。
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 「礼二!」
 中川剛は絶叫した。生まれてからこの方、これ程に大きな声は出したことがない。しかし、それも何の役にも立たない。
 兄の前で中川礼二はゆっくりと膝を付いた「兄、ちゃん」掠れた声で兄を呼びながら、礼二は突っ伏した。後頭部から夥しい血が沸き上がるように溢れていた。
 礼二を殴った男は、バールを持ったまましばし震えていた。しかし、剛と目を合わせると、礼二の背を踏みつけながら剛に歩み寄った。
 拘束はどう足掻いてもびくともしない。剛はさらに叫んだ。恐怖からではない。悲憤の咆吼だった。このまま殴られて殺されることよりも、今まで何もできなかったことの方が悔しかった。
 男はたじろぎ一旦足を止めたが、その声を止めさせるためにバールを振りかぶった。剛の黒い目が見開かれた。それまでの剛を知っている者からは想像も付かないような、羅刹の如き表情だった。このまま死しても尚、この男に怒りを向け続ける。今の剛に出来る最後の攻撃と言えた。

 まさに凶器が振りかぶられた瞬間、剛の正面――男の背後でドアが蹴破られた。
 男が向き直ると、その顎に拳が直撃した。
 「いつまでも調子こいとったらアカンぞボケ!」
 金茶の髪がよろめいたバールを素早くスウェーする。その背後から転がるように飛び込んで来た小柄な男は、礼二に取り付いて庇いながら早口で繰り返した。
 「礼二さん、しっかりしとくなはれ、死んでしもたらいやですよ、がんばってがんばって」
 
 剛が事態を把握し、二人のフルネームを思い出した時、藤井宏和は男に向かってファイティングポーズを取った。体格だけではない、強烈な威圧感。リーチの長い武器に対して、全く怯む様子がない。
 「ぼく目つむっとくわ」
 「応、しっかり瞑っといてくれ。コイツばっかりは許されへん」
 岩見欣正の声にそう返すと、藤井は素早く一歩踏み込んだ。
 男がバールを振り下ろす。藤井は難なくそれをかわし、お返しとばかりに大きな拳で蟀谷を打ち据えた。剛の目では数え切れないほどのラッシュが男に叩き込まれた。ほんの数秒の間に、男は完全に意識を飛ばされていた。

 藤井は男の揺らいだ体を抱え込み、首に長い腕を巻き付けた。そして「生まれ変わって何かの役に立て」耳元にそう吹き込むと、歯を食いしばって腕に力を込めた。
 男の首から、重く鈍い音がした。嘔吐を誘う、形容しがたい不気味な音だった。男の躰が一瞬で弛緩するのが見て取れた。
 藤井は床に投げ捨てるように男から手を解き、剛に駆け寄った「すんません剛さん、遅ぅなりました」剛が返事をするより早く、藤井の腕に再度力が込められる。拘束具が根本から千切れていた。
 「立てまっか。俺が礼二さん負ぶいますさかい」
 藤井はあの礼二を事も無げに、しかし丁寧に背負った。岩見に手を引かれ、剛はようやく立ち上がった。
 「だいじょぶ、礼二さん助かるよ、ぜったい助かりますよ」
 岩見はおっとりと、しかし毅然と告げた。
 自分と同じくらい小さな手に袖を引かれ、剛は階段を駆け上がった。
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 厚い雲の向こうで日が落ちようとしている。俄に薄暗くなった廃墟を進みながら、堤下は泣き出しそうな気持ちになった。
 不安からではない。苛立ちから来るものだ。いずれにしても、もし涙を見せれば子供じみていることこの上ないと思った。最後の意地の一欠片で、辛うじて歩を進めていた。
 
 それでも、壁や天井が崩れ落ち迷宮のようになった瓦礫の山を進み、遂に壁に行く手を塞がれた時、堤下は一つ大きく吼えた。
 塚地は一人ですることがあると去っていった。
 スピードワゴンも自分を残して行ってしまった。
 増してや、板倉は。
 
 誰一人として、自分を信頼できる協力者だと認めてくれていない。堤下は焦りと劣等感が肥大していくのを抑えることが出来なくなった。
 空も飛べない、風も操れない。皮膚は当たり前のように裂けるし、走れば疲れる。腹も減るし、そして迂闊に飲み食いすれば腹を下す。
 他には何もない。自分にあるのは、ただこの力だけだ。単純で、芸のない、力としか呼べないもの。
 己への怒りを、タイル貼りの壁に叩きつけた。
 
 轟音の後、粉塵が収まって、堤下はようやく気付いた。この壁の向こうは、建物の外だったのだ。
 拳の大きさに開いた穴から、夕方の湿った風が吹き込んできた。
 力任せに壁を粉砕した。這い出る際、下腹が凹んで来たことを実感した。最後に物を食べたのはいつだったか。昨日の昼?一昨日か?
 
 擦り傷だらけで這い出すと、遠くに小さく灯りが見えた。誰かが居る。どんな力を持ち、何を目的としているかは判らない。誰かが居る、確かなのはそれだけだ。
 そこへ向かうか?それとも、避けるか?
 最早誰かを頼ると言うことは諦めた方がいいのかも知れない。しかし、こんな世界で、たった一人何が出来るというのか。
 
 逡巡した堤下の視界を、何かが横切った。
 駆けていく男。
 真っ直ぐに前を見据え、全力で走って行く。迷いも、躊躇いも、恐れも不安も感じさせない。ただ走るという行為、それだけに身を任せている。
 堤下もまたあっさりと迷いを振り切った。共に走ろう。すれ違うだけが道ではない筈だ。併走できる道幅がある。この世界には何の制約もないのだから。
 「西野!」
 大声で呼んだ。そして、細い背を追って走り出した。



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