死神とナイフ

 フードを被った男が突きつける反り身のナイフの鋭さに、若い暴徒は三度震えた。
 最初の震えは、このチームの門番として雇った元相撲取りが手首を捻っただけであっけなく倒された時。二度目は、この小柄な闖入者がさしたる力も用いずに7人居た仲間を次々と昏倒させていき、銃器を取り出した男の喉を躊躇無く掻き切った時。そして、三度目の震えに見舞われている喉の前のナイフからは、未だ血が滴り落ちていた。
 「話せ。『死神』のこと」
 男は、押し潰したような声で詰問した。こういう状況でなくとも不快に感じる声だと若者は思った。しかし、返答に躊躇を許す調子ではないとも思った。恐怖で震える声をどうにか紡いだ。

 自分たちの根城に男が現れたのは数週間前。服装は黒の上下。背は180程度。喧嘩を売った仲間が次々と倒された。長い足で首を刈り落とす。助かる者も居たが、命を奪われる者も多かった。5人殺された時点で相手にしないことに決めた。向こうから襲いかかって来ることはなかったからだ。何かを探している様子で、あちこち歩き回っていた。行動は決まって夜。その生態、風貌、そして戦い方からいつしか『死神』と呼ばれるようになった。

 「他には」
 胸倉を捕まれた。あれだけの内容を話し終わる間に、ナイフの血は乾いていた。代わりに、倒れた仲間が作った血だまりが床一面に広がっていた。血の臭いを吸い込んで、若者は四度震えた。
 「俺は直接戦ってない、離れたトコから見ただけで…目的とか、知らねえ。ホントに何も。助けてくれ、命だけは」
 「ホントに他に何もねーか。ちょっとしたことでもいい。髪型、声、何でもいい」
 答えなければ殺されると思った。その危機感が記憶を鮮明に甦らせた。真っ直ぐに伸びた足が首の根本を直撃する。何かの格闘技を連想させるものではなかった。まるで文房具のコンパスのように見えた。一回転して躰の正面がこちらへ戻った時、月明かりに光ったもの――
 「メガネ。メガネかけてた。緑色の」

 フードの男の胸が大きく上下し、ゆっくりとナイフが降ろされた。既に目を覚ましている仲間も居たが、不意を打とうという気にもならないようだった。
 「やっと見つけた」男はあの声で呟いた。安堵の溜息のように聞こえた。
 男はしずかに踵を返すと、戸口へ向かって歩いていった。途中の血だまりも気にすることなく踏んでいった。そして、ドアをくぐる直前、背を向けたまま若者達に告げた「そいつにまた会ったら伝えろ。俺が探してたって。それで判る」

 去り際、フードの男は座り込んでいる相撲取りに何事か囁いた。相撲取りはおもむろに大声で泣き出し、そして何処かへと駆け出して行った。若者達が呆然とそれを見送っている内に、フードの男の消えていた。恐る恐る見回してみても、影も形も見えなかった。

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 廃ビルの中で雨を凌ぎながら、児嶋一哉は鉄筋に向かって拳を繰り出していた。闘志が沸き上がるのを抑えることが出来ない。戦いたい。今すぐにでも誰かを殴りつけたい。動き続けていないと体が破裂してしまいそうな気さえしていた。
 いくら堅い金属を打ち付けても、手の皮には傷一つ付かない。異能を身につけた芸人は数多く存在するが、自分のそれは地味なものだ。ただひたすらに丈夫な肉体。しかし、児島にとっては望むところでもあった。
 ダイエットから始めたトレーニングが高じ、肉体の強化に執着し始めたのは異変の少し前のことだ。それが実を結んだのだと考えればよかった。傷を気にすることなく戦えると言うだけでも「幸せだ」と感じるようになっていた。

 「来る、来るぞ」
 自分を駆り立てている原因が迫って来ている。その力に呼応して血が滾っているのは、考えずとも明らかだった。
 『死神』の噂を知ったのは一週間ばかり前のことだ。その風貌に幾人かの心当たりはあったが、妙に胸が騒いだ。話を聞いてきた相方の渡部健も、同じように感じるという。だとすれば、該当するのはあの男しか居ない。
 夜、向かってくれば相手を選ばずに戦う。長い足で首を刈り落とす。どれだけ打ち込まれても全てかわす。心身共に想像を絶する強靱さを備えている。もし予想通りの人物だとするなら、異変前の人柄からは考えられない変化だ。
 だが、異変によって秘めていた素養が開花したなら、そうした素振りを全く見せなかったあの男だからこそ成し得た変化なのかも知れない。
 「来るぞ」
 児島は呟きながら鉄筋を殴り続ける。気配はどんどん近づいて来ている。最早確信しかなかった。『死神』はあの男だ。そして、児島は笑みを浮かべた。あの男だとするなら、倒せるのはこの俺しかいない。
 「来る」
 渡部が言った。囁くような声にも、窓の向こうを見つめる視線にも生気はない。しかし、その言葉にやはり確信が籠もっていた。渡部は傍らの杖を手に、ゆっくりと立ち上がった。長いコートの足下に靴は片方しかない。
 渡部の片足を奪った相手には、未だ敵を討てずにいる。しかし、『死神』を倒せばその鬱憤も晴れる気がしていた。渡部にもあの快活な笑顔が戻るだろう。その時がすぐ間近に迫っている。児島は総身を震わせた。生まれて初めて感じる武者震いだった。これほどの高揚は、舞台の上ですら感じたことはなかった。鋼の拳を堅く握りしめても、こみ上げる笑いと震えは止まることはなかった。
 そして、その様を見ている渡部の目が悲嘆に満ちていることに、児島は気付いていなかった。


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